2008年1月アーカイブ

ひこうきブーム

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Qたろが最近はまっているもの。飛行機。
11月にプーケットに行ってからこっち、飛行機に目覚めてしまったようだ。

近所を歩いていて上空をヘリコプターが飛んでいると
「ひこっきー!ひこっきー!」と指さして、家並みの間から見えるまでじーっと
空を見上げている。この辺りは、ヘリの通り道になっているのか
夕方はよくヘリコプターが飛んでいる。
夜はライトの点滅もよく見えて「ひこっきー!ぶんぶん!ぴかぴかー!」と大騒ぎだ。

「ヘリコプターね」と言っても、しばらくじーっと考えている(らしい)が、
聞かなかったことにして「ひこっき」とボソ。空を飛ぶのは全部「ひこっきー」。
1歳になった頃に、四つ足動物を全部「わんわん」と言ったのと同じようなものだろう。
とりあえず、「そうだねヘリコプターだね、ぶんぶん」と応えるようにしている。

ヘリコプターを飛行機というのはあながち間違いとも言えないけど
クジラやトビウオの絵を見て「ひこっきー!」と言うのは、どう訂正してやればいいか
ちょっと微妙だ。特にシャチの絵なんて、飛行機そのものじゃん!と言いたくなる。
しかもトビウオは飛ぶし・・・

お正月に「ひこうき」という小さいサイズの絵本を買ってやった。
もう、大喜びで、ずーっと見入っている。

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ぐずって機嫌が悪くなりそうなときなど、すかさずこの本を渡すと、
にこーっと笑って「ひこっき」。

車で長時間移動するときなど、後ろの座席に一人でチャイルドシートに乗っているから
飽きると騒ぎ出す。そのときはこれ!渡せば30分は持つ!という特効薬となってくれる。
なので何かに夢中になって手放したときに、すかさずカバンに入れて持っておく。
すると何かあったとき「ひかえおろう~」と差し出したときに「はは~」となる。

「あなあなー(ANA)」、「だるぅ~(JAL)」、「あどぅー(Air-DO)」はすぐに言うように
なった。その後、「きくぅー(気球)」、「ひっこーせん(飛行船)」も区別がつくようになり
さあ残すは「ヘリコプター」だ。

1月の3連休の日曜日、ものすごく寒かった日に羽田空港の対岸にある海浜公園に
飛行機を見に出かけた。暖かい季節しかきたことなかったから、いつも駐車場が混んでいる
印象だったのに、第一駐車場ですら数台しか止まっていない。さすが冬だからかね、と
公園に降り立つと、寒風がびょおおおおおおおおおお。海風ぇぇぇ、さ、さぶっ!

ボードウオークの下は砂浜になっていて犬の散歩に来ている人がちらほら。
夏はここで泳がせている人もいる。ここに立っていると、数分に一機というペースで
どんどん飛行機が飛んでくる。

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この日の風向きでは、ちょうど離陸した飛行機がこちらに向かって飛んできて
公園の少し手前で右に旋回していくというルートだった。

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かっこいいなぁ・・・でも、寒いなぁ・・・

寒さがへっちゃらな子供のこと、いつまで見ていても飽きない。
と、大人二人は寒さに震え(Oじろすら寒そうだった)
空港に行って暖かいところでお昼でも食べて、近くで見せてあげよう。というアイデアで合意。

第2ターミナルの駐車場に入れ、レストランで熱々のうどんを食べ、ようやくひとごこち
ついたところで飛行機を見ようと展望エリアへ行くと、ガラスの内側からだと
飛び立つ飛行機しか見えない!しかたなく、寒風吹きすさぶ展望デッキへ。

「おおおー!ひこっきー!」Qたろ大興奮。

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金網にへばりついて離れない。

もう大人の方が寒さにたまらず抱っこして中に入ろうとすると、
「あっかい!あっかい!(もう一回)」とせがむ。
じゃあもう一つ飛び立ったらね、あっかい~!ひこっきー!という会話を
何度繰り返したことか。
結局その後も10機ほどの離陸につきあわされるハメになった。

ポケモンジェットが離陸するところ。
これもひこうきの本に載っているので「ぴっかとゅー(ぴかちゅう)」と最近では言うようになった。

冷え切ったQたろ。熱も出ず、元気バリバリだったけど
この日から豪快なハナタレ小僧になってしまった・・・が、
中耳炎にはならずに済んでよかったわ。

さてさて、いつまで続くかこの飛行機熱。

初場所

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久しぶりに東西両横綱のそろった大相撲初場所が終わった。
東西横綱の相星決戦で千秋楽は大いにもりあがり、結果は白ほうの勝ち。
朝青はいろいろと問題があった後の久しぶりの場所だけに、お互い
負けられない。意地と意地のぶつかり合い。壮絶な引きつけ合いと力比べ。
本当に力の入る良い相撲だった。

相撲と言えば、父親は若い頃地元で素人相撲の力士をしていた。
しこ名もあり、ごひいき筋から贈られた化粧まわしもあった。
体重が足りなくてプロになれなかったということだが、本当のところは
よくわからない。

子供の頃、相撲はきらいだった。夕方からずーっと父親が見ているので
見たい子供番組が見られない。

そしてあの何度もやるにらみ合い。
子供心に、さっさとやれば早く終わるのに!などと思っていたが
父はこれがまたおもしれえんだ、と言っていた。
それが理解できるようになったのはずっと後のことだ。
千代の富士が全盛の頃は、相撲好きの友人と、まだ蔵前にあった国技館に
何度か行ったこともある。学生だからもちろんお金がなかったけど
当時は500円で一番後ろのベンチ席に入れた。花道の近くまで下りて
力士の背中をたたくこともできた。付き人の手をかいくぐって触った
千代の富士の腕がすごく固くて驚いたのを覚えている。
父は国技館に足を運んだことがあっただろうか。
ほとんど地元から出たことのない人だったから、機会はなかったかもしれない。

そんな相撲好きの父が6日の未明に亡くなった。
今年の相撲カレンダーを部屋に飾り、両横綱がぶつかる初場所をとても
楽しみにしていたそうだ。脳梗塞を何度か煩い、身体も不自由になっていたが
最近は健康クラブに参加したりして、体調も安定しており、
とくに危ないような兆候はなかっただけに突然のことにみんな驚いた。
前日も普段通りに横になったものの夜中に突然容態が変わり、
そして目覚めることなくそのまま息を引き取った。
眠るような、やすらかな最期だったらしい。

葬儀のとき、父の知人が初場所の番付表を持ってきてくれた。
苦労して手に入れてくれたものらしい。
父と一緒に棺に納めさせてもらった。

千秋楽を見ながら、じーちゃんに見せたかったねぇ・・
きっと大興奮だっただろうなぁ。
番付表を片手に見ていたかもしれない。
そしてもっと日本人頑張れとなげいていることだろう。

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