2012年1月アーカイブ

初すべり in 戸隠

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5日~8日で戸隠にスキーに行って来た。

5日の朝出発。平日なので高速はすいすい。
都心はすっきりと冬晴れのお天気。
上信越道の軽井沢のあたりまで雪はない。
トンネルをいくつかくぐって長野県に入ると一面雪景色になる。
長野の市街地を過ぎたあたりから
高速道路の路面も雪で真っ白になるぐらい降っていた。

雪のしんしんと降り積もる中予定どおりお昼に到着。
早速そばの実(お蕎麦屋さん)へ!と思ったら
木曜日は定休日。がっくりー。

じゃあ!と、中社のうずら屋へ行ってみると
雪のない時期の大行列はどこへやら。
普通の蕎麦屋のように、普通に入店してお蕎麦が食べられた。
寒い山の上までわざわざ蕎麦を食べに来る人は
少ないらしい。おいしいお蕎麦にありつける幸せ。

雪道を駐車場まで歩く。雪国育ちの私としては何とも懐かしい風景。

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大きな茅葺き屋根の日本家屋。今時こういう家を保存しつつ生活するのは
とても大変なことではないかと思う。こんなに立派じゃないけどおばあちゃんちが
茅葺き屋根だったなぁそういえば。雪が滑り落ちてドドドーと音がするの。

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食事を終えて、シーズン最初の足慣らしにゲレンデに出てみるものの
風が強くて天気は大荒れ。スキー場はマイナス7度。

寒いわスキーはうまく滑れないわ転ぶわで
気持ちがすっかり凹んでイヤになってしまった様子のQたろう。

こんな時に無理してスキーが嫌いになっちゃったらもったいない。
一本滑って降りてきたところで休憩することにした。

レストランまでたどり着けなかったため、休憩所で靴を脱がせ
冷え切ったつま先をストーブの前で温める。
痛い痛い~!とわめくだけあってかなり冷たい。
さすっているうちに急に暖かくなってくる。
すると、かゆいかゆい~(笑)

自販機しかなかったため、何か甘いものと思って
缶のおしるこを買ってきてのませてみる。こんなの飲むのかいな。
これがヒットだったらしく、ぐびぐび。うー甘そう~

カラダも温まり、糖分で元気になったら「また滑る!」
さすが子供。やはりエネルギー補給と保温だわ。
結局リフトの終わる4時まで4本滑った。

こちらが初日の滑り。

そして2日目はこの晴天!戸隠山の峰々が目に眩しい~
朝9時の時点でマイナス7度だったから、夜中は冷えたんだろうな。
雪もパウダースノーだ。

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平日はフランススキー学校のキッズクラスがお休みのため、
Qたろうは SAJ の戸隠スキー学校へ。

P1060028.JPG

「お母さんはフランスの学校で、ボクは日本の学校?」と言いながらも
一人でもちゃんと一日頑張っていた様子だ。えらいえらい。

スキーとポールも自分で持って先生に着いて行く。
親がいるとつい甘えて全部やってもらうことを自分でやるようになるのも
スクールの良いところだ。

P1060031.JPG

こちらが2日目の滑り。

午前中は女の子のお友達が一緒だったけど、午後は生徒一人。
マンツーマン指導。どんどんうまくなるなぁ。

3日目はキッズクラスがあったので二人ともフランススキー学校へ入った。

P1070038.JPG

何と!私も午前中はマンツーマン指導。しかも校長先生にご指導いただいた。
土曜日だというのに中級クラスに一人、上級クラスに二人。たった三人とは。
ちょっと心配になる人数だけど、私としては幸せ。
子供は15人ぐらいいただろうか。賑わっていた。

カービングという板になってから、滑り方も根本的なところが昔とは違う(らしい)。
昔は曲がるときには直前に上体を少し伸ばしたら踏み込みとともに
外足側にカラダをやや倒して外側の足に体重を乗せて回ったものだったけど、
今は内足の付け根のあたりを折り曲げるようなかんじで
内足にも体重を残したまま曲がるのだ。

上級者の滑り方でウェーデルンってのがあったんだけど(もちろん私はできない)
今や死語だって。驚きである。

以前はプルークボーゲンといえば両側のエッジを立てていたものが
今は内足のエッジは立てない。ボーゲンができるようになると
シュテムターンっていうんだっけ(これもきっと死語)
内側の板を引きつけて曲がるようになり、
次にパラレルに進んで、ハの字から二の字に滑れるようになっていったものだ。

ぴったり板がくっついるほどかっこよく、細かいターンをシュッシュ!と。
鋭角な雪のシュプールができる。これが昭和のスキーだった。

平成のスキーは両足の板と板の間隔を少し離すことで
外側のエッジを効かせやすくする
(踏み込みとともに膝が倒しやすくなるから)
内側の足はベタっと雪面に付けたまま体重を4割ぐらい残すのだそうだ。

だからショートターン(昔のウェーデルン)をしてもシュプールは
小さなSの字になるだけで、以前のように三角に削ったような跡はつかない。

しかし。そうは言っても昭和のスキーがカラダに染み付いている身には
なかなか難しい。ついつい内側の板を外側に引きつけてしまいがちになる。

なのでプルークから丁寧に指導してもらった。
腕の位置から身体の倒し方から細かく指摘される。

腕に気を取られると足が~足に気を取られると腕がぁ~

覚えの悪い脳みそフル回転である。いや覚えが悪いというよりは
理解したことが身体でできないのだよね。年齢とはおそろしい^^;

亀のような歩みの私を校長先生は根気よく教えてくださる。
もともと昭和のスキーもちゃんとスクールに入って習ったわけではないので
習ってみるのはとっても新鮮。少しでもできるようになるとまた楽しい。

最終日はお父さんがQたろと滑ってくれたので
私は教えてもらったことを反すうしながら一人で滑ってみた。
寒かったけど最後までお天気は良く、雪もパウダー。
ダイヤモンドダストまで。非常に良いコンディションだった。

雪がいいとうまくなったような錯覚を起こしますと言ったら
初日に指導してくれたタダシ先生が「錯覚大事よ!」
「アイスバーンになったら滑らなきゃいんだから」と。確かに。

最終日の滑り。
リフトでてっぺんまで登って滑る様子。
(私も追いかけて滑りながら撮っているので揺れます。酔わないようにね。)

去年の2月に初めてスキースクールに入って、その後震災の影響で
3月には来られなかったからこれで3日目か。

これだけ滑れるようになるというのが幼児のすごいところだ。
そしてすぐに私よりも上手になり「お母さんの滑り方は昭和だね」
とか言われちゃうんだろうな。

午前中でスキーはおしまい。
お昼はそばの実でお蕎麦をいただき東京に戻ってきた。
連休中日とはいえ、関越道もそれほど渋滞もせずスムーズだった。
やはりスキーに行く人は少なくなったのだなぁ。

おまけ1
お部屋でのおじろの様子。

P1060024.JPG

おまけ2
宿の看板犬、シャドウ。

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